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あの日ジャズを聴いた No.3

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 オレが結婚したのは31の時だ。その頃オレはパーカッションの富樫雅彦のバンドにいた。彼は本物の天才で、その手から繰り出される繊細でダイナミックなリズムは、他のどんなドラマーも真似することが出来なかった。
富樫はある事故で脊椎を損傷し、それ以後車いすの生活を余儀なくされたが、そんな不利な状況にもかかわらず、パーカッションの技は冴えわたった。富樫雅彦は我々夫婦の仲人である。
富樫は絵を描くのと蝶を採取するのが趣味だった。絵は車いすの生活でも描けるが、蝶を採るとなると、一人では絶対無理だ。そこで奥さんの三枝子さんとボーヤのヨコベー、そしてオレとで蝶々を追っかけることになる。
蝶々取りが子供の遊びだと思ったら、大間違いだ。そこら辺をヒラヒラ飛んでいるアゲハぐらいだったら、苦もなく採れるが、日本中のあらゆる種類の蝶を、既に殆ど採っている富樫にとっては、残された種類はごく僅かなのだ。
その日、我々は千葉県の清澄山に向かった。蝶仲間からの情報で、その当時幻と言われたルーミスシジミを狙うためだ。巷では1頭4万円前後で取引されているという。
富樫は言った。
「もし1匹でも採ったら、1匹に付き1品、好きな物買ってやるぞ」
「じゃあ、オレはジャック・ダニエルスね」 と、オレは言った。
「あっ、そんならボク、ハイミナールがいいです」
 ヨコベーは眠剤を欲しがった。富樫は体のことで世話になっている医者がいるので、手に入りにくくなっていたハイミナールも簡単に入手出来たのだ。
 そこは通称マムシの谷と呼ばれる涸れた沢で、沢筋に沿ってルーミスが飛んでいるらしい。
富樫を車に残し、我々は山に入った。しばらく登ってから、今度は急斜面を下っていく。もちろん道などない。途中で三枝子さんが脱水症状で倒れた。水を飲ませ、そこで待つように指示し、オレとヨコベーは更に下っていく。
やがてちょっとしたガレ場にぶち当たり、その後沢に出た。幅は5メ-ターぐらいか。木が覆い被さるように生えているので、薄暗い。目をこらして、沢肌を見ると一面ビッチリと蛇がうごめいている。流石のオレもビビッた。
あまりの恐怖に、しばらく動かず待っていると、沢に沿って小さな蝶が飛んでくる。ルーミスだ。いやっ、オレにとってはジャック・ダニエルス。ヨコベーにはミナハイである。
それからはマムシも何のその、飛んでくる蝶を採りまくった。1時間あまりで40頭前後採ったか。もう充分と判断して、そのマムシの谷を引き上げたのだった。
沢を登り、もうすっかり回復した三枝子さんと合流して、意気揚々と富樫の元に戻ったのだ。我々の成果を聴き、最初彼は信じられない面持ちだった。だってそうだろう。4万×40=160万だ。まあ実際にはそんな価格の取引は無理だろうし、売るつもりもないだろうが、相当な収穫であることは間違いはない。
で、俺たちの収穫は、結局ジャック・ダニエルス1本とミナハイ数錠で妥結した。はなから40本など期待していない。
今にして思うと、よく無事に帰還できたものだ。もしあの場所で、万が一マムシに噛まれていたら、絶対に麓まで戻れなかったろう。若さ故の無謀な行動といえば、それまでだが、いや、ほんと、髪が真っ白になってもおかしくない1日だった。

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